おいしいもの(広義)を食べて生きたい。

自分のため、自分の好きなものをとりあえずメモし、吐き出し、咀嚼するところ。

忠臣蔵討入・る祭(忠る)の感想(1)

私の頭の整理なので非常に冗長であり、超個人的な偏りがちな文章です。個人の感想。

10周年だしちゃんと書こう!と調子に乗ったらとても長くなってしまいました。
4回ぐらいに分けて書きます。

今回は全体の感想。

劇中セリフを引用します。アーカイブ配信が千秋楽のみなので、基本千秋楽準拠です。

全体的な感想というか印象

忠る、演出と照明がバッシバシに決まっていて永遠に浴びていたい舞台でした。ほんと〜〜〜ムービングライトを一生愛していたい。松の廊下に寝転がりたい。一緒にゲトワMake me Happyしたい。殺陣シーンVRカメラくれ、マルチアングルでも可。最高の舞台セット・照明・演出ラブでした・・・。

そんな最高な演出をされた板垣さんがおっしゃるように、今回は「現代版の忠臣蔵」であり、小林座長いわく「立場」の話であり、……現代っぽく言えば「視座」の違いがテーマの話だったのかなと個人的には思います。

そして、「座長ふたりの友情の話」という触れ込みで間違ってはいないんですが、、、私個人としては「徳川」の話であったなあという感想です。そういう意図を感じる構成だったなと。

まあどう感じようがなんだって正解なんです。「視座」の違いの話だし。「現代版に置き換えるといろんな立場があって一概にいい悪いって言えない」というのが稽古中(収録タイミング)の座長のお言葉ですしね。

しかし、よーし討ち入りだ!という展開の直後に、敵方である吉良と綱吉の話を入れるので、ただの忠臣蔵にはしない、ただの勧善懲悪の話ではない、そうはさせない、という意志を構成からもバッキバキに感じてしまいました。(というよりも、こちらありきで全体を構成したのかなと思いました。あまり性格の良い見方ではありませんが・・・)

事前に「鬼滅の刃ですら鬼側に感情移入できるようになってる。敵側にもめっちゃ感情移入できるって話がウケますからね。」と平野さんがおっしゃっている通りなんですね。今の時代に勧善懲悪ってどうなんだろう、という話もしていました。

特に、幕府側の全員が心に傷を負いながらも念願の子どもを授かり、綱吉はただ一人の人間としての喜びの表情をしていましたからね・・・そこからの討ち入りです。容赦なし。

<討ち入りまでの流れのおさらい:クリックで開きます>

1. 浅野家断絶(綱吉と家宣。地下牢。)
2. 大石・赤穂藩士討ち入りの決意
3. 喜世と大石のシーン。
4. 仲間のために生きてみる。
5. 殿への思い。仕事の話。俺たちを陥れた綱吉を絶対に許せない。
6. ♪ソロ(薄紅色)
7. 赤穂浪士たちの潜入シーン。郡兵衛去る。
8. ♪リプライズ(薄紅色)
9. 吉良と地下牢のシーン。吉良の告白。金がいる理由。
10. 綱吉の告白、もともと綱吉は。信子懐妊。
11. 討ち入りへ。
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さて。私がなぜ「徳川」の話であると感じたかというと、非常に分かりやすく家宣と綱吉を対比させたからです。勧善懲悪にさせない、視座の違いによって善悪の印象が異なるというテーマを一番負わせたのがこの二人。

ぶっちゃけ、私は初見で「ここをシンメにしたかる・ひまわり……。」と愕然としてしまいましてね・・・びっくりしたよ・・・るーちゃん。ていうか綱吉死ぬんかいって思ったよるーちゃん。

楽曲での対比:2幕冒頭のソロ

「徳川」を色濃く感じたのが家宣のソロ楽曲です。

2幕冒頭の歌は「徳川」の祈りの歌。
「薄紅色〜」は家宣の歌であり、綱吉にはたどり着けない歌。その対比を色濃く映していたように感じました。

♪2幕冒頭のソロ

強くなりたいと願った日からどれだけの力を手に入れたんだろう
弱さ見せまいと誓った日からいくつの夢を失っただろう
夕焼け空は今日も赤くて僕の不安は溶けて見えなくなるよ
あの場所に帰りたい自分らしくいれたあの頃に
いつだって誰かを愛していたいどんな時も笑顔忘れずにいたい

この歌の直後、家宣が親友を殺す回想が挟まれます。そして大石との二人のシーンで、自分がもともとどういう道を目指していたのか、どういう人間なのかを告白するシーンになります。

その会話の内容から「あの場所に帰りたい、自分らしくいれたあの頃に」という歌詞はわかるのですが、「いつだって誰かを愛していたい」が初見時ピンとこなかったんですよね。家宣個人の歌だとすると、その愛していたい相手が仲間もしくは喜世とするには動機として弱いな、と。

しかし終盤、紐解く鍵として綱吉と信子の二人で似たシーンをいれてきます。(民には愛されない、信子との子ができるシーン。)それを踏まえ、2幕冒頭のこの曲は綱吉自身にも当てはめられると考えるとしっくりくるんですよね。
似た境遇の二人の祈り、つまり徳川の祈りとして2幕冒頭ソロを用いたのではないか、と。二人の過去の語り口も敢えて寄せているのかなぁ、と思っています。

家宣(2幕冒頭大石とのシーン)

私はもともと医者になりたかった。(病弱な母親が苦しむのを見ていたからでしょうか。・・・みたいなセリフが千秋楽抜け)しかし、ある日突然、徳川家の跡取りとして指名されてしまった。人生とは、己の意志とは関係なく動くことを知りました。

綱吉(討入直前信子とのシーン)

私はもともと将軍になるはずのものではありませんでした。名前に「家」の字が入っていないことがその証拠です。子供の頃の私は、兄家綱の片腕になることが夢でした。学問が好きだったので、その道を極めることが楽しくて寝る間も惜しんで勉強したものです。ところが、兄が病いに倒れ私は将軍となった。これほど適正のない将軍はいないことでしょう。

ここのセリフ対比も、語り口は寄せてるけれど「もともと〜なりたかった。(=ポジティブ)」「もともと〜なるはずではありませんでした。(=ネガティブ)」という二人の明暗を印象づけている気がします。

楽曲での対比:薄紅色の歌

2幕の最初のソロを「徳川の祈り」と解釈しましたが、2曲目の「薄紅色〜」のソロは家宣の歌であり、綱吉はたどり着けなかった歌だなと思っています。

♪2幕ソロ2

薄紅色の花の香と 揺れ舞い落ちた在りし夢
前へ進めと声がする 心の奥で声がする
人を思い信じ初めて孤独と向き合える
絶対はない正しいもない足掻くことは間違いじゃない
信じた道行くしかないたった一度の人生なら

今回「孤独」というワードや状況が家宣、綱吉の両方から語られるんですよね。

家宣は孤独と向き合い、自分にとっての大切なものに気づくことができました。仲間と生きたいということ、人を信じるということ。

対して綱吉は自分以外の誰かを信じることができない様子が描かれています。

2幕冒頭 大石と二人のシーン。家宣の孤独。

仲間を信じないかつての自分は、綱吉そのものだった。親友を殺め仲間が離れていくことで孤独を感じて、失ったものの大きさに気づいた。だからこそもう一度仲間のために生きてみたいと強く思うようになった。

<以下セリフ:クリックすると開く>

私は目的のためには手段を選ばなかった。
買えるものなら買い、買えぬなら奪い、邪魔だと判断すれば徹底的に排除した。
仲間を信じず、自分の判断に自惚れた。慢心があった。
それはまるで、私が倒そうとしている綱吉そのものでした。
そのすきを綱吉に突かれたんです。そして……。

私は綱吉の策略にはまり、仲間が裏切ったと思いこんで、一番の親友を切ってしまいました。それ以来、皆が私を見る目が変わりました。心からの笑顔は作り笑いに変わり、誰も私に本心を語らなくなった。
恐ろしいほどの孤独を感じて初めて、その時になって初めて、自分が失ったものの大きさを思い知らされた。そんな時柳沢に襲われたんです。

赤穂の仲間たちはみんないい奴らです。私を恐れず、バカにもせず、対等な仲間として扱ってくれる。私は自分が誰だったかを思い出したからこそ、この場所を離れづらくなっています。できるならこのまま、赤穂藩士としてここにとどまりたい。
もう一度仲間というもののために生きてみたい。
それが叶わぬなら、私に生きてる価値なんてない。

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綱吉登場シーン。将軍の孤独。

最初から「自分は孤独だ」ということを強調していますね。よよよ・・・かわいいんだけどね。

<以下セリフ:クリックすると開く>

綱吉)なぜだ、なぜこんなにも愚弄されねばならぬ
(略)
柳沢)みな、上様のことを尊敬申し上げおります
綱吉)民なぞに私の気持ちの何がわかるか!
   将軍というものが、これほど孤独な仕事であったとはなぁ

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綱吉が柳沢に「信子を抱け」と命ずるシーン

“孤独”故に、独断に走り、自分の愛する人を”仕事”に利用したシーン。
家宣「仲間を信じず、自分の判断に自惚れた。慢心があった。」との対応も感じる。

<以下セリフ:クリックすると開く>

綱吉)うん、重要な仕事の話だ。
(略)
綱吉)私には子ができぬ。 このままでは跡目を次ぐものがおらず、あの男、家宣にこの座を譲る日が来るかもしれぬ。 それだけはあってはならぬ!
柳沢)いや、しかし
綱吉)ならばどうする!そして思いついた!子をなせば良い。 お前と信子で成した子を育てればこの身は安泰じゃ
柳沢)できませぬ上様!それだけは上様の頼みと申されましても
綱吉)他に方法が思いつかぬのじゃ!だから頼む……!申し付けたぞ……

—-

綱吉と信子のシーン。

信子の言葉を素直に受け止められず、満たされないと嘆く徳川病み吉。

<以下セリフ:クリックすると開く>

信子)しかし、上様は努力なされました。 政治を学ばれ、天災続きだった世の中に秩序をもたらした働きはきっと後世まで語り継がれることでしょう。
綱吉)そうでしょうか
信子)そうですとも
綱吉)ではなぜ私は愛されないのです。
   なぜ民は私のことを尊敬してくれないのです。
   なぜ私の心はいつまで経っても満たされないのですか。
信子)上様
綱吉)この頃思うのです。学問に没頭していた頃に戻りたいと。 己の求めるもののためだけに心血を注いでいた時間が恋しいと。

—-

-

全体を通して「孤独」というキーワードが散りばめられ、「家宣の失敗」をそのまま綱吉がなぞっているような状況が繰り返されるのですが、さらにそれを「薄紅色の歌」で二人の差を印象づけているような感じがしてしまいました。

もちろん「薄紅色」のソロのタイミングで赤穂浪士たちの姿を見つめているので、彼らにも当てはまる歌詞はあるのですが(♪信じた道行くしかないたった一度の人生なら、とか。)、ここでは「孤独」について言及しているので割愛します。

そして、最終的に二人があそこで対峙するわけです。

徳川二人の対峙であぶり出される差

孤独からか精神を病んで濁ってしまい「取り返しがつかない」綱吉と、記憶喪失1年間のリフレッシュ休暇でリセットできて「やり直しができた」家宣。さらに言えば「持っている」家宣と、「持っていない」綱吉、ですね。

「自分たちは仲間であるはず」という家宣の言葉は、孤独故に分かち合う仲間が欲しかった綱吉にとってクリティカルヒットなんですね、、、、それも憎き相手から。あの時の綱吉の表情を見る限り、そうだったらよかった、もっと早くそこにたどり着ければよかった、という思いもにじみ出ているんです。「仲間」にめっちゃ揺れてしまう。
だからこそ「今更遅い」という返答になるんですよね。拒否や却下ではなく「遅い」。

しかも一度自分の過ちをリセットしたことでアップデートができている家宣ですからね、思考が一枚上手に決まってるんだわ。そりゃあ自分よりも民・仲間に恵まれる人間だと思えてしまうし、自分の惨めさをより感じてしまったんだろうな。綱吉のことを徹底的にいたぶる脚本ですわ・・・。

<以下セリフ:クリックすると開く>

綱吉)憎かったのですよ、家宣が。
(綱吉を見る家宣)
綱吉)民に支持され、仲間を従え、正義の名のもとに私の失脚を狙おうとしたお前が!
(略)
家宣)上様、私もたくさん過ちを犯してきました。 しかし私達はそもそもこの国のために働く者としては仲間であるはず 私達がまずしなければならなかったことは、攻撃し合うことではなく話し合うこと。 今からでも遅くはありません。この国の未来のために私と語りませんか。
綱吉)何を今更・・・今更そんなこと言われても遅いわ!

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そして、綱吉は殺されて現世から開放され、家宣はその重みの刃を信子から突きつけられて結末に向かいます。

まとめ

家宣は良くも悪くも甘い人でした。
綱吉と同じことをしていたと自覚的なのに、徳川に背を向けて泉岳寺に行きたい、と。直前まで「私がこの国のために」と宣っていたのに、いざ将軍職に肩を叩かれても赤穂藩とともにありたい、と。確かに残されたものとして背負うものは大きいかもしれませんが、そもそも綱吉を将軍の座から引きずり降ろそうとしていたのでね。

しかし、ここで大石と「寺坂」はきちんと決別して未来に進むこととなりました。彼にとっては辛い結末であり、赤穂藩士たちの思いも、綱吉の無念も、一人で背負って生きていかなければならない。るひまはいつも残されるものに試練を与えるからな……。

そういう意味では家宣が綱吉のことをあまり知らなくてよかったと思います。吉良の事情は知ってしまいましたが、綱吉のお世継ぎのことや心情の吐露を知ってしまっていたら残される側として非常に苦しいので。

最後のお花見のシーンは、前に向かって生きる彼だけが現実なのか、いつかたどり着きたかった夢のようなifなのか、もしくは「あっちでのお花見」なのかはわかりません。
ただ、何れにせよあそこにいたのは「家宣自身」であると思いますし、ラストの照明が落ちる直前で口元に力強さも感じるような笑みが浮かんでいたので、立派に将軍をつとめあげたことを感じることができましたし、彼が一歩を踏み出した後の姿を見せてくれたことが救いだと思いました。

以上の流れから今回の話は徳川家宣の話であり、徳川二人をメインテーマに据えて構成されていたな、と感じました。もちろん話の主軸は忠臣蔵(男の友情)なのですが、主題は徳川二人、みたいな。

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とまあ、座長である大石にほぼ言及できていないのですが、大石がメインとなる忠臣蔵の主軸があるからこそ、視座の違いというテーマが今回成り立ったのではないかと思っています。

キャストや演出から「勧善懲悪はこのご時世にどうなのか」という話が出ていましたが、結局赤穂浪士たちはしっかり討ち入りする=勧善懲悪の役割を果たしているからこそ、敢えて忠るでは「忠臣蔵」の物語を主軸にはおいても主題にしていない、つまり忠るを勧善懲悪の話にはしなかったんだろうな、と思います。

補足。

家宣の2幕冒頭の歌、ミュージカル的に言うと特に歌でストーリー進行しないし時系列の飛躍などもないし初見違和感があったりするんですよね。歌った直後に家宣がそのままの内容を説明するので、「え、今の必要?」って思ってしまうんですよ。

「演出家板垣恭一は〜2」のメモによると板さんが当時語っていたこと。
ミュージカルの歌は主に2パターン
・モノローグ
 └願い・祈り・告白・怒り等
・ダイアローグ
 └昨日何してたとか。レミゼのOne day moreはモノローグの複合系

そして、「さっきそれセリフで言ってたのに歌ってたね」というのは失敗だ、とも言われていました。

つまり、2幕冒頭が家宣だけの歌であると失敗とも捉えられかねないんですよね。すぐ後で同じことセリフでいうので。ただ、実はこの歌は綱吉の歌でもあり、「徳川の祈り」の歌であったということが後半効いてくるのは良かったなと思います。ちょっと時間が開いた感じもしますが、少なくとも私は、そういう風に思えたなと。

いや〜〜正直歌が徳川に寄っちゃったから納祭の2幕M1みたいなのほしかったけれどもね。初回はすごく「くるか、くるか!?」って構えたらソロだったから・・・。1幕ラストも幕府側の想いがすごく強いので、それが結局2幕に効いてきちゃうわけだし。正直どこかで赤穂藩士たちの心情をもっとのせたほうが「忠臣蔵」としてよかった気はした。

追記(21/1/20)

「歩いて帰ろう」について書くの忘れてました。

2部の最後にみんなで歌った楽曲「歩いて帰ろう」。2部ラストに歌う曲は公演のテーマだったり何らかのメッセージを包括したり、寄り添ったりする印象なんですけれど、今回もその例に当たるんじゃないかなと。
(参考:る変「また逢う日まで」、る年「僕が僕であるために」など。る戦はドリフ忖度だから・・・

で、「歩いて帰ろう」ですが、この曲って今の自分の状況に歯がゆい気持ちのある曲だと思うんですよね。自分の理想・超越した何かに対する憧れとか、現実への苛立ちとか、そういうものとおのずからの現状を対比しているというか。

その上で今日「は」歩いて帰ろう、という楽曲は優しいですよね。今日から、これから、ではなく今日「は」。

忠るは懐が深いなぁと思います。
入り口(武士悔いねえ)も優しいし、絶対悪を作らなかったから、もどかしさもあるんだけれども、むしろどこに寄り添ってもいいよって言ってくれてるんじゃないかなあと。
(まあ、地獄って思う人もいる。だいたいの登場人物が死ぬ。遺される人もいる。しょうがない、忠臣蔵だもの。)

そんな公演の最後に、今日「は」歩いて帰ろう、という楽曲が似合うよね。 前向きな時があってもいいし、そうじゃない時があってもいいし。

まあ、改めて考えて対比なぁ、、、、・・・・あ、はい。。。。そうですか、という気持ちにはなったちゃぁなったけど。この公演が何かを追い求めて、その自分と誰かとの対比であったような気がしてしまうので。シンメかぁ〜。(深読みしすぎ)

私は家宣様は家宣様のペースで前へ向いて歩いていってくれればいいと思います。
そんな姿がリーディングで描かれればよいですね。祈り。

感想(2)へ続く。

ざっくり、私の忠る全体の感想は以上。 赤穂藩士たちのことや好きなシーンなどは各パートに書きます。

ここからも長い。

(2)は好きなシーンやパート、演出、千秋楽何が起こったの事件(私にとって)等

q692te.hateblo.jp


(3)は各キャスト様への感想

q692te.hateblo.jp


(4)はその他の諸々

q692te.hateblo.jp

です。

まあ兎にも角にも忠る楽しかったです! 追加グッズと上映会を楽しみに待ちます。